Zwiftしてから身体が回復しない、いよいよ老いた
どうした、私?
たかだか2時間Zwiftしただけで疲労が溜まる、さらには1週間も回復しないとか。これは一体何が起きているのか。
話は2週間前にさかのぼる。
開催中のワークアウトイベント『Base Line』からPower Check #4- Flat Out Fastを完遂した。

しかしいまいち全力を出し切ることができず、直後にあった友人のグループライドにはしご参加。

Sweepをやったりしたら脚がバキバキになってさすがに辛かった。これがマズかった。1週間休んでも疲労が取れない。
仕方なしに先週末は流行りのZONE2領域で30分のリハビリライド。

これがまた良くなかった。疲労抜きのはずが全く抜けないどころか、疲労が増すことに。GarminのHRVも最低ラインを示すようになった。Z2ライドってなんなんだ?

ASKAは歌った。いつか負ける日も来ると。社会人駆け出しの頃にシニアの大先輩がカラオケでアリスを歌っていた。チャンピオンもいつかは若い虎に負ける。
身体の劣化が激しい。体力のピークはとうに過ぎた。老いとの付き合い方が、向き合い方がいまいち分からず悩んでいる。
30年ぶりの道をエモく走る
土曜日の荒川河川敷、大変だったね。羽アリがとんでもないことになってたね。
ちょっとした用事で電動アシスト自転車で出かける必要があって、そうすると信号やクルマの行き来が無い河川敷は自転車移動にはすごく楽なんだよね。
そうしたら路面は昨日の雨がすっかり乾いていたものの、よく晴れた天気だからか、羽アリでとんでもないことになっていたね。走り出してしばらくしたら身体中にまとわりついてきて軽く絶望したね。
蚊柱ってあるじゃないか。あれの羽虫版。参っちゃうね。深夜早朝ではない普通の昼下がりだよ。
それが土曜日のこと。翌日曜日は三芳町方面に行く用事があって、電車移動だと物凄く遠回りになってしまうのでロードバイク。
前日のうちにバッテリー関係をすべて満タンに充電して、チェーンに軽くオイルを差して、チューブドタイヤの空気圧は前後とも7バールと少し硬めに。
20年前のロードバイク駆け出しの頃によく走った道を行く。エモいってこういう時に使うのかな。あの当時は1,500円のサイクルソックスが高くて買えなくて100均の靴下を履いていたんだ。ヘルメットはOGKの8,000円くらいのちょっとダサいやつ。正直あまり気に入ってなかった。
エモさを描こうとしたけどとんでもなく長い自分語りになりそうだから端折る。
これは淑徳大学。

調べたら千葉市と板橋区と三芳町にキャンパスがあるんだね。この埼玉キャンパスは教育学部と地域創生学部があるみたい。みずほ台駅からスクールバスで10分、東所沢駅からのスクールバスだと20分だって。
大学の周りに雀荘や飲み屋などの盛り場がないのはいいね。勉強に打ち込める環境だね。夜は真っ暗になっちゃうんじゃないかと少し心配だけど。
次の画像は淑徳大学から西に進んだ所沢市の永井地区。このあたりは産廃業者が軒を連ねる産廃銀座で、遠くから微かに家畜の香りと、やっぱりゴミの臭いが漂ってくる。

私が学生だった頃はテレ朝のニュースステーションでダイオキシン汚染が報道されて大騒ぎになった。関係者の努力によって清浄化したと信じたい。あれから30年が経つ。
普段Zwiftばっかりやっているから、こういったリアルな世界を走ることが逆にバーチャルに感じられて不思議な感覚に陥った。
私にとってロードバイクで走ることはすなわち自宅でZwiftの仮想世界を走ることだ。そこには煩わしい向かい風は無いし、歩行者やクルマなど他の交通も無く、安全に走れるから最高だ。
実走はすごく気を遣う。車道を走ること、それは道交法を守って丁寧に走ること。人や物にぶつからないケガしないケガさせない、極論死なない死なせない。
こういう強制力と言うか、ロードバイクで行かなければならない理由でもない限り、室内ロードバイクに慣れてしまうと、外は面倒だ。支度も片付けもZwiftは最高なんだな。
河川敷シーズンイン
夏の河川敷は暑すぎる。遮るものがなく直射日光に灼かれ、お好み焼き屋の鉄板と化した灼熱の路面からの照り返しもジリジリと身体を焼く。
そして夏の河川敷にはもう一つ問題がある。虫だ。大量の羽虫である。これ分かる人いる?
8月にお試しで河川敷を走ったあと、先週も夜間に50km走ってみたのだが、まあ酷かった。身体中、特に腹や胸に1ミリ以下の小さな羽虫がたくさんくっついて「ヒェッ!」というおかしな悲鳴が出る。

口なんか開けて走ろうものなら喉に何か貼り付くような感覚に陥って、ドリンクで口をゆすがずにいられない。これが、「日中の陽射しが暑いなら、夜に走ればいいじゃん」に対する答えだ。夏は夜走るのも大変なんだよ。
と言いつつも、時はすでに9月も半ばである。
例年だと9月20日前後が私のシーズインのタイミングだ。それより一週早いが、金曜に降った雨が2日経ってだいぶ乾いた。これはやるっきゃない。
気温が落ち着いてきたこの数日の状況は大変好ましい。そして路面がドライであるならば、陽射しを遮る雲、曇りがちな朝はベストコンディションだ。
というわけで夜が明けるのを待って走ってみた。夜は虫がすごいからさ。って、さっき上に書いたね。
まあなんというか、Zwiftほぼ100%の私だけど、実走もたまにはいいよね。自転車を外に出して空気入れて補給食をバッグに入れてウェアに着替えて等々の支度が面倒なのと、帰宅してフレーム&タイヤとシューズをウェットティッシュで綺麗に拭いて室内にしまうのが面倒なだけ。
いや外の景色を見るのも悪くはない。パワーバーを貪りながら、歩行者に気を遣い、猛追してくる頭のイカれたロードバイクをいなして、はたまたかっ飛んでくるTTバイクを横目に見ながら、たまには実走も楽しいね。
Watopiaみたいにさ、自分の気分でスピード(パワー値)を上下させて走れるのが楽だよね。それをリアルな世界でやらかすと大迷惑だからね。
これまでたまに「河川敷で後ろに張り付かれて気持ち悪かった」みたいな言説を目にしてきたけど、そういうのってだいたいスピードの出しすぎだよ。35-40km/hとかで走ってるから似たような奴が絡んで来るんじゃないかな。私の実体験からそう思う。
かと言って河川敷以外で走るのも怖い。公道なんてもうほとんど走ってない。走らなくなったから怖い。細かい交通ルールを忘れかけているのもあるし、信号待ちのときに脇をすり抜けていくロードバイクを見かけて、私にはあのような走り方はできないし、ああいう人がいる世界で生きていくのは私には難しい。
たまに実走をするたびにZwiftの楽しさを思い出し、それでもやっぱりたまには外に出る。ああ。ホイールだよ。高い金を払って購入したカーボンホイールさえなければ、Zwiftで十分なんだよ。
だからかな?ディープリムのカーボンホイールで走る楽しみ。それを思う存分楽しめるのが信号も横断歩道もない河川敷なんだよな。
歩行者や他の自転車には十分気を付けつつ、とにかく真っ直ぐ走る。それが河川敷の楽しみ方。河川敷楽しいね。
仕事してる?私は働いてるよ!
繁閑の波はあるけれど、異動したこの1〜2年は仕事が忙しい。金曜日定例のZwiftミートアップだとか某外国人グループのグループライドリーダーをやっていたときのようにはいかない。全然Zwiftできなくなった。
それはそれでいいのかもな。働き盛りの中年男性が遊び呆けているのはどう考えても、いや人によるか、価値観は人それぞれだしね。いいんだ、いいんだよ、週末に登坂を含む150kmを走ったっていいんだよ。私はもうやらないけれど。やりたくてもできない。
平日毎日ローラーを1時間回せる人は回せばいいし、回したいのに回せない人はその現実を受け入れるしかない。VO2Maxは何もしないでいると簡単に下がってしまう。上げるのは本当に大変なのにね。悲しいね。
私はもう4倍は出ない。いいとこ3倍。心肺能力は地に落ちた上に腱板断裂のため肩や首に激痛があり、長時間ドロップハンドルで身体を支えることも難しくなった。悲しいね。悲しいよ。
仕事は大変。定期的なリストラに加えて採用を絞っているため、ヘッドカウントが全然足りない。極端な話、一人当たり仕事量が数年前の2倍になっている。治水事業と穀物担当だった人が、治水と穀物と半導体と自動車を見るようになった感じだ。そりゃあ成果物のクオリティも下がりますわなあ。
そんな状況で、中年の私に新しい仕事が見つかるわけもなく、いや選ばなければいくらでもあるんだけど、年収1500万円で部下なしの楽な仕事って条件はなかなか見つからない。当たり前か。
仕事の移動中に電車の中で遊ぶスプラトゥーン3のパズルゲーム『ナワバトラー』が唯一の楽しみだよ。ゲームやる時間もだいぶ減ったな。
カネを稼ぎ続けなければならない。それも高給を稼ぎたい。自転車に乗って遊んでいる時間がないんだよ。悲しいね。ロードバイクでFTPだのPWRだのと言いながらサイクリングに勤しむのと、それを我慢しながらカネをもらうのとどっちがいいのかな。
ロードバイクで遊びながら高給を稼ぐのが一番だな。世の中そんなにうまくいくわけもないんだけど。
やさぐれメモを復活させたので、このやさぐれメモ2の存在意義も無くなった。このやさぐれメモ2をやさぐれメモに統合したいのだが、その方法を調べる気持ちの余裕があまりない。
よう、田中! 元気そうだな!
もう2年前になるだろうか、大雨による災害のニュースを見ていたら、知っている顔が報道記者として出てきた。 ここでは田中としておこう。
田中とは大学の同級生で顔を見るのは卒業以来だが、一目で田中だと分かった。田中と出会ったあの頃はユーゴスラビアの紛争が続いていた。田中とはその勉強会を有志で開いたときに出会ったのだった。
弁論部のメンバーやら、自民党のカバン持ちを鼻にかける奴やら、はたまた左派学生を気取る民青の奴やら十数名で意見を交わしあう勉強会。
その中で田中は相対的に地味で大人しい人柄だったが、言うことは非常にまともで良識的だった。良識的というか、私の価値観に最も近かったので仲良くなったつもりであった。
つもりであったというのは、そのあと田中と遊んだ・勉強会をやった記憶がないからだ。
全国区の大学というものは文字通り、日本中から学生が集まってくる。入学したその日から、個性的な自信家が次から次へ現れる。
「小説家志望で在学中にデビューする」と宣言する者。「学園祭を日本一の物にしてむちゃくちゃ盛り上げたい」と張り切る者。「親と話して進学したが、ピアノが好きだからいずれ音大に入り直す」と話す者。
私の記憶に残るのは良くも悪くもアクが強く、頭が良く、大きな夢や野望を抱いてそれを実現できると信じてやまない連中だった。
主張できない、主張することが苦手だと「その他大勢」の中に埋もれていくような気がしてならなかった。 没個性というわけでもないのに、私は日本中から集まってくる元学級委員・元生徒会長の優等生たちから覚えられていたかった。何とか存在感を出したくて在学中はほかのやつらに負けじと精力的に活動したのだった。
話がそれた。田中である。
田中はそういうのがなかった。朴訥だった。
その田中は昨日も画面の向こうで雨がっぱを着ながら、豪雨の被害が出た地域の惨状を伝えていた。もともと大人びていた顔つきは、あの頃から全く変わっていなかった。だからこそ田中だと分かったのだが、私からすると田中だけでなく、大学で出会う奴らがみんな大人びて見えた。
ほぼほぼ同い年なのに、その多くが落ち着いていて、高校生ではない新しい自分を模索中だった。それは田中もそうだったし、私もそうだったはずだ。
もしかして田中も同じように焦っていたのかな、とか引け目みたいなものを持っていやしなかったかな。惨状を冷静に伝える田中の顔を見ながら、そんな詮無いことをなんとなく考えてみたりした。
支局勤務の田中は様々な取材活動を行っていた。インターネットで彼の名前と支局名を検索すると、その足跡をたどることができた。
数年おきに異動しながら日本各地で報道記者をやっていた。地域で痛ましい事件・事故が起きると、その原因や背景を取材して、その悲劇を再発させないための提言まで丁寧にまとめていた。
目に見える形で社会貢献を成し遂げていた田中を知った。そんな田中を知っている自分がなんだかとても誇らしくなった。
一昔前だったら田中の活躍に嫉妬したかもしれな。い。しかし今は違う。同じ学び舎で机を並べて学んだ田中と20年の時を超えて邂逅した現在、お互いの立場でそれぞれ身を粉にして働いて、その労働を通じて社会貢献を達成している。私は私の仕事に胸を張れている。
チャゲアス風に言えば、ここは途中だ(『ロケットの樹の下で』)。
そしてそこに立ってその時見えることばかりだ(『not at all』)。
若い頃は引け目を感じてばかりだった。それはまだ若かった私の中を占めていた「自分はデキる人間だ」という無意識のうちの前提による傲慢さだった。
今はもう諦めた。いや、諦めたというより背伸びをやめたというべきか。
私は私にできることをする。昨日できなかったことが明日にはできるように、少しずつ成長を続けるだけのことだ。そこに劣等感だとか、自己肯定感だとか、そんな概念が入り込む余地など微塵もない。

遊星ひとつ、だれの?
木島始作詞・三善晃作曲の『遊星ひとつ』はピアノ連弾を伴奏に用いる合唱曲である。4曲からなる楽曲構成の2曲目『だれの?』が私は好きで、よく口ずさんでいる。今日はそれについて書き連ねてみたい。
とは言っても音楽的に高度なアナリーゼや詩的解釈の考察などではなく、ただなんとなく、この詩とメロディーに自分の思い出なんかを重ねて書いてみたくなったのだ。
※『遊星ひとつ』を知ったのは大学生の頃だが、長くなるから知ったきっかけは割愛する。
この楽曲を知った大学1年生の冬、私は隣の学部の2年生である猫目の才女が気になっていた。猫目の先輩は栗色の髪をショートカットに切り揃えてバスケットボール女子風を装ったフラメンコサークルのバイオラーラだった。
猫目先輩とは、冬休みに参加したインカレボランティアサークルで知り合った。先輩とは偶然にも共通の知人・友人がいたこともあってボランティア中に仲良くなった。
愛知淑徳だったか大分高校だったか、地方の私立進学校を経た彼女は頭脳明晰かつ竹を割ったような真っ直ぐさと生来のコミュ力による気遣いで、私は恋に落ちかけた。
恋に落ちかけた、というのは彼女はすでに好きな人がいるのを知っていたからだ。ボランティア活動でホームステイした先が学生たちの宿泊に毎年ご協力くださるご夫婦で、前年にホストした男子学生のことを話してくれた。その男子学生が彼女の想い人だったと帰京後のあれこれで分かったのだ。
そして私も本気で実らせたい恋というほどのものでもなく、20歳の男子にありがちな流行り風邪のような、一瞬の気の迷いだったと思う。たかが一学年とはいえ、単に歳上女子への憧れだったのかもしれない。
それでも風に揺れるサラサラで明るい色の髪。こちらの目を真っ直ぐ見つめてくるアーモンド型の瞳。彼女と話す時はいつも胸のドキドキを隠せているか心配になった。
それと同じ頃に知った楽曲が『遊星ひとつ』だった。そして中でも2曲目の『だれの?』を聴くたびにあの猫目女子先輩を思い出すのだ。この胸の太鼓が聴かれていやしなかったかと。
楽曲は8分の7.5拍子という、いわゆる不安定な変拍子で進んでいく。リズムを言葉で示すなら「ズンタンズンタンズンタンタズンタンズンタンズンタンタ」であり、「ド ラ ゴ ン ボ ウ ルド ラ ゴ ン ボ ウ ル♪」という進行になる。
この少しいびつというか、4拍子にひとつ足りない不完全さが心の何処かに潜む不安というか、恋のドキドキのようなものの表現だと理解している。
誰かの目に見つめられると
季節風と蕾のように
君の胸の太鼓が鳴り出す
誰かの声で呼びかけられると
踏み切り接近と信号灯のように
君の瞳の炎が煌めき出す
冬のボランティア活動を終えて、私は大学生活2度目の春を迎えた。環境が大きく変わり、私は小さな悩みをいくつも抱えて人生の森を彷徨っていた。猫目先輩のフラメンコサークルは定期的にライブを開いていて、暗がりの中でライトを浴びる猫目先輩の、舞台メイクのつけまつげとアイメイク、そして細くて長い手足が美しくエネルギッシュに舞うステージが毎回楽しみだった。
誰かの手で慰められると
君の魂が黙想癖とタイムトラベルのように
君の魂がはためかす
翼を
猫目先輩は今どこで何をしているのだろう。風の噂ではあの就職難の中でメガバンクに内定したと聞いた。さすが猫目先輩。あんなホールセラー/RMがいたら企業・顧客は安心だろう。
誰かの腕に抱きかかえられると
ベッドのしわと朝日のように
君の怯えが一瞬で消えていく
猫目先輩とはダンスライブ以来、会っていない。あれから四半世紀が経って、猫目先輩の記憶に私はいないだろう。私だって猫目先輩が本当に存在していたのか、疑わしく思うこともある。
誰かって?
誰のだ?
以上、本当に些事・些細な、長い人生のほんの一瞬の、青春の1ページについて書いた。引用の形で書き添えた木島始の詩は耳コピであり、もしかすると間違っている箇所もあるかもしれないことはご了承いただきたい。



